日本語教師ブログ – モンゴル編「ウランバートルの空に」vol.32

ようやく『JLPT日本語能力試験』終了!学期末に向けて突っ走るのみ!【後半】

12月2日(日)
いよいよJLPT当日。8時半前に会場入りして、スタッフ控え室でミーテイング。私は32名の受験生のクラスの補助監督で他に監督のモンゴル人の先生お二人と組むことに。教室の座席番号のチェック、問題用紙や解答用紙、「聴解」で使用するCDプレーヤーの準備など。

10時前から続々と受験生が。入場の際に受験票と身分証を改めて席に着かせ、本日のスケジュールなどを説明。私の担当した教室では中学生か高校1、2年生くらいでしたが、妻の方は、大学生や結構年配の女性も受験されていたそうです。

11時より「文字・語彙・文法」の試験を25分間。続いて「読解」の試験を50分間。「聴解」を終えて13時半過ぎに終了。監督料ももらって、ホクホク。

3日(月)
朝一で出会ったDに「昨日の試験どうだった?」と訊くと、「読解」が難しかった」「でも、半分以上100点くらいはできたと思う」と。Dの誕生日が12月5日と知り妻の誕生日が6日なので、「よかったら家に来て一緒にお祝いしようか」と誘うと5日は友達と誕生日パーティーをやるので6日なら」ということで即決定。

11年生の授業に行くと、またもや知らない顔の女子が1名ぽつんと座っていました。今日から編入してきて日本語学習歴は2年あり、昨日もN4を受験してきたとのこと。これで11年生は計13名に。

昨日のJLPTの手応えを聞いてみるとN5受験生の4名は皆、半分はできたと。N4受験生の2名は、どうやら合格スレスレ・・・。まあ、結果の出る1月下旬が楽しみです。

今日は初めて「作文」を書かせてみようと、日本を紹介したイラスト入りの小冊子を渡しました。『東京の電車』『桜』『数字で見る日本』の3冊。一様に興味深そうにしていました。

4日(火)
Dには敬語を教え、11年生たちには、早く作文を提出するよう、はっぱをかけます。でも少々、ダレ気味。JLPTも終わって気が抜けてしまったのでしょうか?自分も11年生の期末試験の作成に取りかかりましたが、こちらも疲れ気味で早めに退勤。

5日(水)
「漢字ナーダム」に出場する11年生のEに連日、漢字を書かせる練習を課します。ブーたれながら、しっかりやってくるのが根性のあるEらしい。彼女は人一倍やる気があって、以前からずっと期待している生徒の一人なのです。

午後、校長夫人のHさんにAIR MARKETというモンゴルの大手旅行会社に連れて行ってもらいました。日本のクレジットカードはこちらでは使えるところと使えないところがあり、ネットで決済できなかったので、お店に行く必要がありました。オフィスは結構広く、無事航空券を購入できてよかったです。

途中、市内のウランバートルで一番古い第一高等学校の前を通り過ぎ、そこが彼女の出身校と知ります。彼女のお母さんはこの学校で英語を教えておられたそうで、白鴎さんも教え子だとか。

夕方、4時過ぎにDの誕生日会をやっている学校近くの韓国料理レストランへ少しだけ覗きに行きました。11年生の仲の良い女子も混じって総勢8名。やはりその後も皆でカラオケに行って19時半過ぎまでK-POPの曲を歌いまくったとか・・・。

6日(木)
妻の誕生日。学校に着いて、すぐに日本語科の教師6名が寄って来て「お誕生日おめでとうございます」と。妻は「え、何で?何で?何で知ってるの?」とびっくり仰天。実は10日ほど前から、私がこっそりと皆に妻の誕生日のことを知らせていたのです。

全員から色艶やかな素敵なスカーフをプレゼント。大喜びした妻は一階上の踊り場にある姿見にあてて確認。ところが、あわてて階段を踏み外して、足を痛めてしまいました。

11年生の授業でも「今日は何の日でしょう?」と板書。すかさずEが「先生の誕生日!」と。

「違う。ヒント。昨日は何の日だった?」と訊くとSが「Dさんの誕生日・・・あ!Y先生の誕生日!」と見事、正解。拍手。Sには今度、正解したご褒美にジュースでも奢ってあげると約束しました。後で、Eも妻のところに来て「お誕生日おめでとうございます」と挨拶に来たらしいです。

15時半より、「漢字ナーダム」出場者の顔合わせと説明会。しかし、肝心の高校生のM(中学生の3年間、栃木の足利に暮らしていたことがあり、今回もN1を受験した)とDがいない。Dは帰った?「どうしよう」。今日、彼女を家に招待するのに・・・。

17時頃、ようやくDが見つかりました。何でも家の鍵を紛失し、家に戻っていたとか。おまけに携帯の電池が切れてしまって連絡がつけられなかったと。事情を聞いて安心し、一緒にアパートへ向かいます。妻は先に帰って料理の準備が済んだ頃。妻とは殆ど初対面。おでん、茶飯、サラダなどを振舞いました。

彼女の父親は彼女が小学5年生の時に亡くなりずっとダルハンのこの学校の前身の小中高で、当時は日本人が19人いて、全ての科目を日本語で勉強していたと。どおりで日本語に通じている訳だと納得しました。

少し前までは、ロシア人の先生がモンゴルに来られ、モンゴルの公立校で授業をしていたことを考えれば、この国ではそもそも学校がなかったし、外国式の教育システムがもてはやされる傾向があるのかもしれません。

意外だったのは、あれほど日本語を勉強して優秀なDでもアメリカに憧れアメリカ文化を崇拝していること。ロシアにはまるで興味が無いらしい。Dからはモンゴルのデールを着た人形とゴビチョコレートをいただいてしまい恐縮してしまいました。

7日(金)
S先生についつい、11年生の「やる気のなさ」を嘆き愚痴をこぼしてしまう。彼らは私の授業中の説明が聞き取れず理解しにくい様子。モンゴル人のS先生にも一緒に授業をして欲しいという要望があったとのこと。確かにこちらにも説明不足や厳しくしすぎたことも思い当たり反省。思案のしどころ。

妻はどうやら捻挫してしまったらしく、内出血していたため保健室の先生(妻のクラスにその息子がいる)が念のため病院に行った方がいいとのことで、午後もやっている私立の病院へHさんと一緒に夕方行くことに。N先生からは「Yさんは明日、絶対に漢字ナーダムに行っちゃだめ!」と念押しされました。

車中でHさんといろいろ話。彼女のお母さんはロシアのシベリア西方に暮らしていたと。彼女の親友もウラン・ウデに住んでいるらしい。私が「ロシア語よりモンゴル語の方が難しいですよね」というと、「その通り」と。

また「何故、モンゴル人は英語にせよ日本語にせよ発音が良いのか」と尋ねると「モンゴル語には母音がたくさんあって、外国語の発音が比較的、容易にできる」とのこと。

着いた病院は照明が明るく清潔で、かつて中国にいた時に私が通った病院と大違い。大きなサムスン製の機械でレントゲンを撮り、骨折ではないが2日間は絶対安静にと。錠剤2種類とサポーターを院内で購入して帰りました(安い)。

遊牧民の国モンゴルでは整形外科は発達しているようなので、ひとまず安心。こちらでは紅茶を煮詰め、塩を入れて作る紅茶塩湿布で治すとか。

でもこれで明日の「漢字ナーダム」は妻の欠席が確定。他の先生方に連絡して詫び、明日は私一人何でもやりますと宣言。

いずれにせよ学期末まで、あと2週間。そして、その後は一時帰国までカウント・ダウンに入ります。本当にあと、もう少しの辛抱。頑張ります!

vol.33へつづく

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