日本語の上達に欠かせないウチとソト ―― 日本の敬語は複雑?
日本語を学ぶ人たちにとって、敬語は非常にむずかしいと言われます。
日本人はその複雑な敬語と、それを取り巻く「ウチ」「ソト」の感覚を小さいころから少しずつ身につけます。まずはその実態から考えてみましょう。
言語の獲得と文化習得
地球上のどこであれ、生まれた子どもは、親や周囲の人が話をするのを聞きながら言葉を覚えます。親も自然な会話を聞かせながら子どもに覚えさせます。これは日本語においてもまったく同様ですが、一つだけ異なるところがあります。子どもが日常の会話がなんとかできる年齢になると、親が別のあることを教え始めるのです。
「Aちゃん、叔父さんに向かっては、『ウン』じゃなくて『ハイ』でしょ」
「Xちゃん、お外なんだから、そんなわがまま言っちゃだめでしょ」
これは単にまちがいとか、言葉のバリエーションを教えているわけではありません。年上/目上の人に対しては「ハイ」という、外では人が見ているからいい子になる、という「言葉や態度の使い分け」を、よかれ悪しかれ、一つの「社会的ルール」「日本の生活習慣」として教えているわけです。
やっと日本語が話せるようになった子どもたちは、親が別の人と話すのを聞いたり、直接「しつけ」を受けたりする中で、家の中で普通に使う言葉と、よその人がいる場所(世間)で話す言葉とが違うことに気づき始めます。
相手や状況によって「言葉づかい」や態度を変える、つまりそこにいくつかの位相があって、それらを「使い分け」なければならないことを膚で感じとり、それを意識し、学習するようになります。そうして小・中から高校・大学、さらに社会へと、自分の生きていく場が拡大する中で、周囲の人々と折り合いをつけながら、社会人としての「言語/文化」を学び、「(一人前の)日本語」を話すことができるようになります。
「場」の意識と待遇表現
日本人は程度の差はあれ、誰とどのような状況・場所で話すのか、を常にわきまえ、意識しながら話しています。親疎、年齢・地位の上下など、相手との人間関係については、直接、敬語表現に影響するためによく知られていますが、実は家庭内か職場か、あるいは一対一か周囲に人がいるかどうか、公的か私的かなど、話をする場や状況についての認識も、日本語の待遇表現と大きく関わっています。
中でも「ウチ」と「ソト」の観念は、日本人の精神構造の中核を担っているといってもいいでしょう。「内と外」といえば、第一に自分の「家庭」と、その外側にある「世間」あるいは「世の中」を意味します。家(いえ)を「うち」と読むのは、そのことを象徴的に表しています。「内弁慶」とか、「外面(そとづら)がいい」などの言葉にもそれが覗えます。
日本人にとって一番初めに出会う「ウチ」は自分の「家(うち)」ですが、おもしろいのは、その後成長するにしたがって、だんだん学校や会社など、自分の所属する組織を「ウチ」と意識するようになり、「うちの学校」「うちの会社」などと言うようになります。その場合、「ウチ」以外の人や組織を、「ソト」あるいは「よそ(他所)」と考えます。
つまり、親しい間柄が「ウチ」で、自分の本心を見せることができる場所、反対に本心をうっかり見せられない人や場が「ソト」になるわけです。家族の間では、世代や年齢などを問わず「デス/マス」をつけないで話すのは、それが「ウチ」の最たるものだからでしょう。英語にもPrivate/Public、Formal/Informalなど、似たような概念がありますが、日本の「ウチ/ソト」ほど強く場所や人間関係、言葉の使い分けを意識したものではないようです。
ウチ/ソトでシフトする敬語
外国から来た人が聞いたら、「うちの学校」「うちの会社」は、非常に奇妙に思うのではないでしょうか。ところが日本人は、常に「ウチ」か「ソト」か、という認識なしにものを言うことができません。「ウチ/ソト」は、人間関係の親疎、あるいは組織・集団への所属意識の強弱によって決まります。しかも社外では「うちの会社」と言っていても、社に帰ると今度は社内で「よその課、うちの課」というように、「ウチ/ソト」意識の境界線は我が家から始まって町、学校、会社、地域、国へとダイナミックにシフトしていきます。
よく「学校の恥だ」「日本の恥だ」というのを聞きますが、「恥」の観念が他者を意識することにあるとすれば、話者の意識ではその時、学校や日本が「ウチ」になっているわけです。もし火星人など、他の惑星に生物がいるとしたら、「温暖化は地球の恥だ」ということになるかもしれません。
冗談はさておき、注意しなければならないのは、この「ウチ/ソト」の感覚は、上下関係を中心とした敬語(尊敬語と謙譲語)や待遇表現の使い分けを大きく規定していることです。親など目上の人に対してウチ/ソトに関係なく敬語を使う韓国語が絶対敬語といわれ、日本語が相対敬語といわれるのはそのためです。
これを具体的な例で見てみましょう。たとえば、あなたは社長といっしょに取引先との合同会議に出席し、議長を務める、とします。
あなた:「みなさま、本日は暑いところをお出でいただき、ありがとうございます。それではさっそくですが、弊社の新商品につきまして、社長の鈴木がご説明申し上げます」
そして社長に向かって一言次のように耳打ちします。
あなた:「詳細は私が説明しますので、社長は特色について簡単にお話しください」
あなたは、取引先(ソト)に対して謙譲の姿勢で社長の名を呼び捨てにしています。そして内輪の小声での話では、社長に対して尊敬語を使っています。これが「ウチ/ソト」の意識とともに敬語がシフトする典型的な例です。また、最近は少なくなってきましたが、よその人に対して、
「うちのドラ息子は、できが悪くて困っております」
などといいます。本当はできのいい息子であっても、他人の前(ソト)では、身内の人間を低く(悪く)謙遜して表現します。家族やごく親しい間柄では敬称をつけず、「呼び捨て」したり、「―ちゃん」などと愛称で呼んだりするのもウチの意識からでしょう。
そもそも日本語の人称代名詞は非常に多く、あなた、君、僕、俺、お前など使い分けますが、相手との関係性、性別・地位・年齢の差もさることながら、そこに会社か家庭内かなどの場、ウチ/ソトの意識が働いていることも見逃せません。
さらに言えば、私たち日本人は、たとえば前置きとして「何もありませんが……」とか「これは余計なことですが……」とか言います。また「ちょっと~」「たぶん~」「なんとなく~」「~かもしれない」「~といってもいい」などと、面と向かって否定したり断定したりするのを避け、曖昧で婉曲な表現をすることが多いのですが、これらも、「ソト」に属する人に対する配慮の意識から生まれたものと考えられます。
授受の指導と「ウチ/ソト」
このようにウチに属する人と、ソトに属する人という認識は、日本語を使う時にかなり重要な意味をもっていますが、授受、いわゆる「やり、もらい」の表現においても、明確に現れています。たとえば、
「隣のオジチャンが、おみやげをくれた」
という文において、「恩恵」を受けた人は誰かといえば、とりあえず「私」でしょうが、私以外に「うちの子に」でも「妹に」でもよく、「父に」でも「母に」でもいいわけです。要するに「くれる」という言葉で、恩恵を受けるのは身内つまり「ウチ」に属する人に他なりません。
最近は気にする人が少ないようですが、
「猫に餌をあげる」
「子どもにミルクをあげる」
という言い方に違和感をもつ人がいます。「あげる」は本来、下から上へ、という方向性がある言葉なので、子どもや動物に物を与える場合は「やる」だったのです。それが、ぞんざいに聞こえるためか「あげる」というようになりました。「やる」も上下だけでなく、たとえば近所の人に対して、
「ウチの亭主は変わり者なので、テキトウに付きあってやってください」
などと、ソトの人に対して身内(ウチ)を低めていう言い方があります。
「~てあげる」「~てやる」についても、同じようなことがいえますが、時代とともに、上下やウチ/ソトの観念に微妙な変化が現れているということでしょうか。
敬語の指導と「ウチ/ソト」
日本人なら最初はまず「ウチ」の言い方で、
母:「Aちゃん、ご飯たべる?」
A:「うん、たべる!」
などと普通形から学び始めますが、日本語指導の場合、学習者は圧倒的に大人であり、親しくない日本人と会話をすることが前提ですので、丁寧形で、
「名詞/形容詞+です/じゃありません」
「動詞+ます/ません」
から始めることになります。
授受表現の「あげる/もらう」は『みんなの日本語』初級Ⅰでは第7課にありますが、「くれる」はすこし注意が必要なので、最後部の第24課にでてきます。というのは、『教え方の手引き』の中に、「『くれます』は、第三者から話し手の身内への移動に使う」とあるように、ここで初めて「ウチ/ソト」の視点が導入されるからです。
待遇表現としては、初級Ⅱの最後の使役形のところで「休ませていただけませんか」(第48課)が扱われ、そして第49課で尊敬語「~(ら)れます」「お~になります」や「特別な尊敬語」、最後の第50課で謙譲語を学んで初級が終わるという順序になっています。
敬語の学習目標としては「上下、親疎(ウチ/ソト)の人間関係に基づく敬語全体の体系を理解し、尊敬語・謙譲語を適切に使うことができる」とありますが、いずれにしても初級、中級、上級をとわず、学習段階に応じて指導することになります。その際、「上下・親疎」の概念は学習者も理解しやすいと思いますが、「ウチ/ソト」の感覚は主観的かつ日本的な面もあるので、どこかできちんと説明しておく必要があると思います。
敬語指導の注意点
以上で見てきたように、日本語はどんな人と、どのような場・状況で話すのか、という視点なしで話すことができません。初歩の「です/ます」からして、すでに丁寧語なのです。
一口に敬語といってもレベルがあって、学習が進めば進むほど、いつ、どう教えるのか、が大きな問題になっていきます。たとえば以下の3つの言い方を、全部一度に教えると混乱すると思います。
先生は英語を
1)教えておられます
2)お教えになっています
3)教えていらっしゃいます
学習者はどれを使ったらいいか迷ったり、尊敬語と謙譲語を取り違えて話したりすることになります。初級で目標とするのは、まず相手や一般で使われている敬語が理解できることであり、自分で使えるようになるのは中・上級からでいいと思います。たとえば助詞や受け身・使役形などの使い方にまだ問題があるのに、敬語が使えるというのはアンバランスです。丁寧形を完全にマスターすることが先でしょう。
あまり上下の関係がない間柄で、「どうぞお召し上がりください」や「存じております」「拝見いたします」などと言うのは違和感があるし、逆に相当親しくなったにもかかわらず、敬語を使われたりすると「水くさい」と感じる場合もあります。もちろん、現職の人やビジネス、特に営業・サービス系をめざしている中・上級の学習者には正確に使えるよう訓練する必要があります。
言葉は時代とともに常に変化します。ウチ/ソトの意識や敬語・授受表現には、その人の年齢や人生観、対人関係などが微妙に反映されるので、そのことも視野に入れておく必要があります。
まとめ:異文化指導について
外国には、そもそも相手をウチ/ソトで見る、上下で考える、といった習慣がないところもあります。私たち日本語教師は敬語や待遇表現を教える際に、いつ、どの程度、どのように教えるか、常に頭に置いておいたほうがいいと思います。というのは「ウチ/ソト」や敬語、待遇表現は、日本社会の通念や文化と密接に関わっているために、状況によっては日本文化の型にはめることにもなりかねないからです。敬語(尊敬語と謙譲語)を教えるとは、相手を敬い、自分を卑下する意識を教えるのと同じなのです。いわゆるポライトネスと敬語、待遇表現は必ずしも同じではありません。
外国、とくに欧米からきた学習者の中には、地位や年齢の上下、親疎、「ウチ/ソト」などの感覚や言葉遣いを押しつけると、不快に感じる人がいないとも限りません。積極的に適応しようとする人は別として、私たちは無意識のうちに「同化」を求めていたりすることのないよう、気をつける必要があると思います。日本のジェンダーの問題についても同様のことが言えるでしょう。
イタリアで生まれ育ち、日本にきて精神科医として臨床活動をしているP.フランチェスコ氏は近著で次のように言っています。
「日本社会的な振る舞いの特徴として、親しい人を「内」とみなして本心、つまり個人的アイデンティティを見せる一方、親しくない人を「外」とみなして、それらを一切見せないところがある。これは極端な二者択一ではないだろうか」
参考資料
『聞いて慣れよう日本語の敬語』坂本恵他編著 スリーエーネットワーク
『岩波講座日本語 4 敬語』大野晋・柴田武編 岩波書店
『日本のコミュニケーションを診る』P. フランチェスコ著 光文社新書
『日本人の心がわかる日本語』森田六朗著 アスク出版
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