わかりにくいでお馴染み、モダリティの基本を解説!
概要
「日常生活で聞いたことない日本語教育関連用語 No. 1」といえば「モダリティ」でしょう。この記事では、そんな「モダリティ」というムズカシげな用語を取り上げ、モダリティの意味、分類、日本語教育との関連などについてまとめました。
モダリティ表現とは
いきなり漫画の話で恐縮なのですが、漫画のコマの枠線といえばたいてい直線ですね。ですが、たまに枠線が雲のようなモクモク線だったり、手書きのヨロヨロ線だったりすることがあります。そういうとき、私たちは「あ、これは夢の中のデキゴトなんだな」とか「だれかの想像の中のデキゴトだ」などと理解します。
つまり、漫画では枠線のタイプによって、実際に起きていることか、夢や想像の中で起きていることかを区別することができるのです。
言語にも同じように、現実に起きたことか、そうでないかを区別することができます。たとえば、「子どもたちが歌を歌った」は現実に起きたデキゴトを述べていますが、「子どもたちが歌を歌うかもしれない」や「子どもたちが歌を歌うことができる」では「子どもたちが歌を歌う」というデキゴト自体は起きてはいません。
このように、デキゴトが現実に起きたか、起きていないかに関わる言語表現がモダリティ表現です。
モダリティと命題
再び漫画のコマに話を戻しますと、直線で引かれた枠線の中に子どもが走っている絵が描かれているとしましょう。私たちはこのコマを見て「子どもが走る」というデキゴトが起きていると理解します。
では、同じ子どもが走っている絵でも、枠線が雲のようなモクモク線だったらどうでしょうか。この場合、私たちは子どもが現実とは違う夢や想像の世界で走っていると理解します。
つまり同じデキゴトを表す「子どもが走っている」絵でも、枠線の違いによって、そのデキゴトの位置づけが変わってくるのです。デキゴトと枠線のこの関係も言語に当てはめることができます。
言語学では一般的に、私たちの発する文が命題とモダリティの2つの部分からできていると考えます。
命題は、漫画で言うならば、枠線の中に描かれたデキゴトのことです。いっぽう、モダリティは、その命題が現実に起きたことなのか、そうでないかを表す枠線に該当します。そして、デキゴトが現実に起きたかどうかを決めるのが、モダリティ形式(=枠線)なのです。
たとえば、「子どもたちが歌を歌うだろう」という文は「子どもたちが歌を歌う」という命題と「だろう」というモダリティ形式から成ります。
(命題)「子どもたちが歌を歌う」+(モダリティ形式)「だろう」
「子どもたちが歌を歌う」という命題の部分だけでは、このデキゴトが現実のものなのかどうかどちらともいえません。モダリティ形式の「だろう」が続いてはじめて、このデキゴトが現実には起きていないということがわかります。
モダリティの分類
現実性のモダリティ
言語学では、命題が現実に起きたか、起きていないかの区別を、現実性・非現実性(仮想性とも)と呼びます。現実性の表すモダリティは断定、事実性です。
「子どもたちが歌を歌った」という文では、「子どもたちが歌を歌った」という命題が断定的に、事実として述べられています。さきほど文は命題とモダリティの2つの部分に分かれると言いましたが、現実性モダリティの場合はモダリティの部分がないことが普通です。つまり、モダリティ形式が存在しない「ゼロ形式」の場合は、命題を断定的に事実として述べるモダリティ表現となります(「断定のモダリティ」などとも呼ばれます)。
非現実性のモダリティ
非現実性の表すモダリティは複雑で、多様なモダリティ形式が含まれます。ここでは、推量、伝聞、能力、義務を取り上げます。
推量のモダリティ
推量のモダリティは、命題を非断定的に述べるモダリティです(認識的モダリティとも呼ばれます)。つまり、命題の成立(実現)に関して話者が十分な確信を持っていないことを表します。日本語では「だろう(子どもたちが歌を歌うだろう)」「らしい(子どもたちが歌を歌うらしい)」「はずだ(子どもたちが歌を歌うはずだ)」「かもしれない(子どもたちが歌を歌うかもしれない)」など多様な形式が用いられています。
伝聞のモダリティ
伝聞のモダリティは命題の証拠についてのモダリティです。証拠性モダリティとも呼ばれています。日本語では「そうだ(子どもたちが歌を歌うそうだ)」「という(子どもたちが歌を歌うという)」「みたい(子どもたちが歌を歌うみたい)」などが含まれます。
「能力」と「義務」
非現実性モダリティはまた、「能力」や「義務」を表すモダリティ形式にも関わっています。なぜなら、「能力」や「義務」を述べる文では、デキゴトが現実に起きているわけではないからです。
「能力」は、動詞の可能形(「子どもたちは歌を歌える・歌えない」)や「〜ことができる(子どもたちは歌を歌うことができる・できない)」などの形式で表されます。「義務」を表す形式には、「〜しなくてはならない(子どもたちは歌を歌わなくてはならない)」「〜すべきだ(子どもたちは歌を歌うべきだ・べきではない)」「〜する必要がある(子どもたちは歌を歌う必要がある・ない)」などがあります。
なお、モダリティの分類に関しては、研究者によって分類、名称、位置づけもさまざまです。ですので、本節の内容も、あくまでもモダリティ分類の 1 例としてご覧ください。
対事的モダリティと対人的モダリティ
前節までは、現実性・非現実性の区別に基づいたモダリティ分類を述べましたが、別の捉え方をする研究者もいます。そのひとつが対事的モダリティと対人的モダリティという分類です。
対事的モダリティとは、事(こと)、つまり命題・デキゴトに対するモダリティであり、上で述べた現実性・非現実性の区別にかかわるさまざまなモダリティが含まれます。これに対し、対人的モダリティは命題ではなく、聞き手への働きかけを表すモダリティです。
具体的には命令のモダリティ(「歌を歌いなさい」)、勧誘のモダリティ(「歌を歌いましょう」)、依頼のモダリティ(「歌を歌ってください」)などさまざまなものがあります。
日本語教育とモダリティ
上で見たモダリティ表現がいずれも日本語の使用に不可欠な表現ばかりだということを考えれば、モダリティという概念を理解することは、日本語教師にとって重要だといえます。
ですが、いろいろな用語があって困惑している方も多いのではないでしょうか。
モダリティは多様な言語表現が含まれる大きな分野で、現在も盛んに研究が進められています。そのため、さまざまな見解・分類・名称が存在します。日本語教育の分野では、対事的モダリティと対人的モダリティという分類が用いられることが多いようですが、これとて統一見解というわけではありません。ですので、分類や名称にはあまりこだわらないほうがいいかと思います。
まず、大事なのは、私たちの発話が命題とモダリティの部分に分けられることを知り、どの部分がモダリティに該当するのかを(ある程度)区別できることです。
さらに、個々のモダリティ形式の表すモダリティを大まかに理解しておくことも大事です。ここでは例として「のだ」というモダリティ形式の表すモダリティをあげましょう。「のだ(んだ)」には、説明・発見・命令の 3 つのモダリティがあるとされています。
説明の「のだ」「(平日なのにどうして家にいるの、という質問に対して)今日は学校休みなんだ」
発見の「のだ」「(休校日だということを知って)今日は学校、休みなんだ」
命令の「のだ」「(休校でないということがばれて)さっさと行くんだよ!」
日本語学習者にとってこの「のだ」は習得が難しい項目のひとつです。しかも、通常、日本語話者は「のだ」の意味を考えることなどないので、説明も簡単ではありません。ですが、モダリティの研究を踏まえて「のだ」の意味について理解しておけば、説明しやすくなるのではと思います。
まとめ
この記事では、馴染みがないでお馴染みの「モダリティ」を取り上げて、意味や分類、日本語教育上の重要性を解説しました。
この記事が、みなさんの「日本語教師になりたい!」という非現実的なデキゴトを「日本語教師になった!」という現実的なデキゴトへと変える一助となればさいわいです。
参考文献
荒川洋平『日本語教育のスタートライン』(スリーエーネットワーク、2016)
庵功雄『新しい日本語学入門』(スリーエーネットワーク、2012)
亀井孝他編『言語学大辞典第6巻 術語編』(三省堂、1996)
斎藤純男他編『明解言語学辞典』(三省堂、2015)
東京中央日本語学院 日本語教師養成講座教材チーム『日本語講師養成講座 日本語教師のための理論 文法』(東京中央日本語学院、2019)
Palmer, F. R. Mood and Modality. (Cambridge University Press、2001)
宮崎和人・安達太郎・野田春美・高梨信乃『モダリティ(新日本語文法選書 4)』(くろしお出版、2002)
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