「うなぎ文」に新提案? 「は」と「が」の基本を解説!
概要
「私は学校に行きました」と「私が学校に行きました」 よく似た文ですが、どこか違いますね。この違いを説明するのにはどうしたらいいでしょうか? この記事では日本語教師が知っていなくてはならない「は」と「が」の違いについてまとめました。
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「は」と「が」の違い
日本語教師が教える文法項目のなかでもっとも重要で難しいものといえば、「は」と「が」の使い分けに決まりです。研究もおびただしくありますし、使い方に悩む学習者も同じくらいいます。
この記事では、そんな「は」と「が」の違いについてわかりやすくまとめます。
「は」と「が」と文脈
助詞の「は」と「が」はそれぞれ「取り立て助詞」「格助詞」に分類され、機能が異なるのですが、同じように見えることがあります。
「私は学校に行きました」
「私が学校に行きました」
この2つの文の意味が違うということは、日本語話者には分かりますが、学習者にはかならずしもそうではありません。というのも、「私は」も「私が」もどちらも「行った」という行為の「主語」にあたるから、その違いがはっきりしないのです。
では、その違いをはっきりわかってもらうにはどうしたらよいでしょうか。いちばんいいのは、「文脈」を与えることです。ここでそれぞれの文が答えとなるような質問を考えてみましょう。
質問「あなたは今日なにをしましたか」
⚪︎「私は学校に行きました」
×「私が学校に行きました」
質問「誰が学校に行きましたか」
× 「私は学校に行きました」
⚪︎「私が学校に行きました」
このようにすると「私は学校に行きました」と「私が学校に行きました」の違いがはっきりします。「私は」のときは「私」についての情報を提供したいのです。これに対して「私が」のときは「学校に行った」人についての情報を提供したい、ということになります。
主格の「が」と主題の「は」
主格の「が」
通常、文は、なにかしらのデキゴトを表す内容と、文の述べ方の2つの部分から構成されています。文の内容は命題と呼ばれています。そこで次の文を比べてみましょう。どの文も「友人」という存在が「学校に行った」という同じ命題を表していますが、述べ方が違っています。
「友人は学校に行きました」
「友人が学校に行きました」
「絶対に友人は学校に行った」
「友人が学校に行ったのだ」
このように他の表現と並べてみると「は」と「が」の違いも命題に関わるものではなく、述べ方に関わるものだといえます。
さきほど「が」は格助詞だと言いましたが、格とは動詞などの述語との文法的関係を示すものです。「友人が学校に行きました」の「友人が」はこれが動詞述語「行きました」の主語(つまり主格)であることを表しています。そして、述語が、あるデキゴト、つまり命題の一部であることを考えると、これに結びついた「友人が」も命題に含まれることになります。つまり、格助詞の「が」には命題内の主格を示す働きがあるのです。
主題の「は」
いっぽう、「は」はこれとは異なる命題との関わり方をします。まず「は」は主格でなくてもいいのです。
「友人は学校に行った」(友人が学校に行った:主格)
「テストは友人が受けた」(友人がテストを受けた:目的格)
「学校ではテストが行われていた」(学校でテストが行われていた:場所格)
「が」「を」「で」のいずれも格助詞ですが、「は」は主語だけでなく、他の格助詞の代わりになったり、ともに現れたりすることができます。これがどういうことかというと、「は」自体は文の述語となにか特別な関係があるわけではないということです。では、「は」はどのような機能を果たしているのでしょうか。
ここで、上の例文を次のように言い換えてみると、その機能がはっきりします。
「友人についていえば、その人が学校に行った」
「テストについていえば、友人がそれを受けた」
「学校についていえば、そこではテストが行われていた」
いずれも「友人・テスト・学校」を取り上げて、それに関する情報を述べるという点で共通しています。ここでの「友人・テスト・学校」は文の「主題」といえます。とすると、助詞「は」には、主題を示す機能(主題化)があるということになります。
「は」による主題化
主題と解説
上に述べたように「は」は主題を示し、文のその後の部分では、その主題について提供したい情報が述べられます。この後の部分のことを「解説(評言)」といいます。つまり、助詞「は」をもつ文は次のように2つの部分に分けられます。
「友人は 学校に行った」
《主題》 《解説》
このように主題と解説に分けられる文を、有題文(主題文)と呼びます。有題文があるということは無題文もあります。これは主題のない文です。
さて、前節では、主題が解説と格関係を持つ例を取り上げました。「友人・テスト・学校」が主題となった文がそれです。( )内に示した無題文からもわかるように、主題化された要素は、動詞述語と格関係をもっています。
ですが、格関係というつながりがなくても、主題と解説の関係は成立します。たとえば「その派閥はキックバックが問題視されている。」や「このテストは会場に行くことが重要だ」という文では主題と解説との文法的関係が明確ではありません。つまり、主題と解説の関係は、文法的にあいまいでも、意味的なつながりがあれば成り立ちうるのです。この点が、述語との格関係がなければいけない「が」などの格助詞と大きく違う点です。
このような主題と解説の「ルーズ」な関係のうち有名なものが「ゾウは鼻が長い」(はが構文)とうなぎ文です。
ゾウは鼻が長い(はが構文)
「ゾウは鼻が長い」のような形で、「は」と「が」が続く文を「はが構文」といいます。「秋は空が高い」や「仕事は勤務先が遠い」なども同じ構文です。
「ゾウは鼻が長い」は主題である「ゾウ」と解説である「鼻が長い」から成り立っています。これを「ゾウの鼻が長い」という文の「ゾウ」が主題化されたものと考える人もいます。どうとらえるにせよ、主題の「ゾウ」と解説の述部「長い」とに明確な文法的関係がなくても、意味的に関係があれば有題文として成り立つという点が重要です。
うなぎ文
「うなぎ文」とは次のような文です。
「ぼくはうなぎだ」
これはもちろん、うなぎ人間の突然の告白などではなく、お店での注文の場面です。言い換えるとすれば「ぼくについていえば、うなぎを注文する」となりましょうか。ここからは主題と解説の関係には文脈が大きな役割を果たしていることもわかります。
対比の「は」
「は」の締めくくりとして、対比の用法にも触れておきましょう。以下のような例です。
「おかずはぜんぶ食べたが、ごはんは残した」
「は」による主題化によってどうして対比の意味が生ずるかについてですが、これは主題化によって、対比の基準を明確にすることができるからでしょう。上の例では、「は」によって対比の基準である食べ物が主題化され、対比したい情報が解説にまとめられています。
現象を述べる「が」
「は」は有題文ですが、「が」だけだと無題文になります。「が」の無題文は、基本的にデキゴト(現象)を報告する文(現象文、現象報告文)となります。
「雨が降ってきた」
「あの人がきた」
「机がある」
これは格助詞である「が」が命題を構成する述語と結びついていることに関係しています。こうした「が」の特徴が、「は」と「が」の違いに関わっています。
従属節・関係節の「が」
従属節・関係節は主節と関連のあるデキゴトを述べる節ですが、この従属節では「は」ではなく「が」が現れることが普通です。
「会場が静かになってから、スピーチが始まった」(×会場は静かになってから、スピーチが始まった)
「私は友人がくれたお金で豪遊した」(×私は友人はくれたお金で豪遊した)
「その人がきたとき、私は家にいました」(×その人はきたとき、私は家にいました)
これは、これらの従属節・関係節が現象を述べるものであるため、「が」しか使えないからだと考えられます。
「は」と「が」のこんな違いが、文全体の解釈に影響を及ぼすことがあります。次の例をご覧ください。
「私は食事を済ませると、家を出た」
「私が食事を済ませると、家を出た」
問題なのは誰が「家を出た」かということですが、「私は」の場合は「私」です。いっぽう、「私が」では少なくとも「私」以外の誰かです。こうした解釈の違いが生まれるのも、「私は」が主題として解説全体に関係するのに対し、「私が」は従属節だけに関係しているからです。
新情報・旧情報
「は」と「が」の違いとして「新情報」と「旧情報」の区別があります。「新情報」を述べるときは「が」、「旧情報」を述べるときは「は」を用いるというものです。例えば次のような例です。
「むかしむかしお爺さんがいました。お爺さんは小さな家に住んでいました」
これは物語の冒頭ですが、最初の「お爺さん」は新しく提示された情報(新情報)であり、これが「が」で示されています。そして、2度目に現れる「お爺さん」はもう旧情報ですから「は」となります。
この違いも、現象を報告する文の「が」が新しいデキゴトを述べるのに適しているのに対して、有題文の「は」で主題化されうるのは、通常、すでに共有されている事柄である、ということに関係あるからでしょう。
まとめ
「は」と「が」の違いは、日本語教師が知っていなくていけないもっとも重要な項目のひとつです。この記事では、「は」と「が」の基本とその違いをまとめました。
ところで、有名なうなぎ文ですが、うなぎの値段も高騰気味の昨今、「ぼくはうなぎだ」なんて、自信たっぷりに注文する機会もめっきり少なくなりました。今後は例文も時流に合わせて「(うな重の値段を見て)ぼくはうな丼だ……」とややしょんぼり気味なのがいいのか、それとも例文ぐらいは贅沢させてよ、という意向を尊重するのか、日本語関係者の議論を大いに期待したいところです。
参照文献
荒川洋平『日本語教育のスタートライン』(スリーエーネットワーク、2016)
庵功雄『新しい日本語学入門』(スリーエーネットワーク、2012)
斎藤純男他編『明解言語学辞典』(三省堂、2015)
東京中央日本語学院 日本語教師養成講座教材チーム『日本語講師養成講座 日本語教師のための理論 文法』(東京中央日本語学院、2019)
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