日本語と生活文化
日本文化を教えるといっても
何を、どんな時に、どのように
教えたらいいのか、途方にくれる人もいるかもしれません。
今回は、日常使う単語やフレーズの中から
その意味と背景にある日本人の生活を考えてみましょう。
文化とは
日本文化といっても、ここでは歌舞伎とか茶の湯、わび・さび、タテ社会などについて教えようというわけではありません。それらはいわゆるハイ・カルチャー(Cカルチャー)に属するもので、「日本事情」などの本を読めば、ある程度その知識はえられます。一方、ロー・カルチャー(cカルチャー)といわれるものは、日常なにげなく使っている日本語の中に潜んでいる独特の発想とか歴史的に形成された考え方などで、そうしたものは言葉はともかく、その背景は目には見えないし、そのつど、それと教えてもらわないと気がつかないことが多いものです。
日常の挨拶の中から
中国の大学で日本語の授業をしている時、会話の教科書のなかに、外国人が日本人の家庭を訪問する、というシーンがありました。そこにホストの言葉として「どうぞお楽になさってください」という表現がでてきました。「楽にする」とは? それを理解させるためには、日本人の部屋には畳が敷いてあって、他人の家に行ったときは、(尊敬と謙遜を表すために)まず威儀を正して座る、つまり畏(かしこ)まって正座する、ということを説明しなければなりません。そしてホスト側から「正座をしなくてもいい」といわれて初めて「膝をくずす」、つまり楽な姿勢をとるのですが、では実際にはどう座るのでしょうか? 普通、男性は「あぐら」をかき、女性は「横座りする」ことまで説明しなくては、実戦的な会話にはなりません。
言葉で説明するよりも、実際にやってみせるのが一番、と思ったのですが、教室では正座してみせようにも、低い位置で学生からは見えないし、床は汚れていて、さすがの私もズボンが汚れるのは困ります。思わず、新聞紙でもあればここでやってみせるんだが………というと、ある女子学生、「新聞ならありますよ」といって差し出すではありませんか!
こうなるともう「やるっきゃない」。学生を周りに集めて実演してみせたのですが、彼らは(当然ながら)立って見ているわけで、私を「見下ろす」形になります。その真ん中で、私は正座し、お辞儀までしてみせる羽目に陥ってしまったのです。この状況はしかし傍から見れば、たとえば私がセクハラをして学生たちの前で平身低頭、謝っている図でしかなく、とても挨拶の場面とはいえません。そこでハタと気がつきました。学生にも新聞を敷いて座らせ、同じ目線で対座してやっと挨拶らしくなったのです。
生活からくる文化の違い
中国にも正座はあります。しかし椅子やベッドの生活で、日本人のように平素から床(疊や板間)に座ることが少ない彼らからみると、それは「かしこまる」というより「跪(ひざまず)く」行為であり、相手に「膝を屈する」ことではないのか……。 聞いてみるとこの姿勢(正座する/かしこまる)は、中国ではどうやら完膚(かんぷ)無きまでに屈服した姿を意味するらしく、これはおそらく欧米においても同様でしょう。
考えてみれば「かしこまる」は古語の「畏(かし)こむ」からきていることでわかるように、相手の威光・威力に対して「恐れつつしむ」ことです。結婚式や家の建前などで、神主が「かしこみ、かしこみ申す……」と祝詞(のりと)を上げるのは、まさしく神に対して「恐れながら」言っているわけです。
お客が「かしこまって座る」のは、ホストに対して敬意や恐れを表しているわけで、相手から許しがなければ膝をくずすことはありません。上司や顧客に対して「かしこまりました!」というのも、「(かしこんで)うけたまわりました」といっているのです。
「かしこまる」「膝をくずす」はもちろんですが、「こたつみかん」も「ちゃぶ台がえし」も「ふとん」も「押し入れ」も、本来の状況――つまり日本人は昔から畳や板間で生活してきた――という観点から説明しないと、その真の意味が理解されにくいのです。このような言葉を扱う時には、「畳の上での生活」という全体状況から教えていけば、個々の言葉の理解はもっと容易だったでしょう。日本語教師としては、ただうわべの意味だけを教える、という大きな失敗、場合によっては誤解を与えかねない怖い経験をしたのでした。
アメリカの社会学者、J.カーターのいう「文化の島」モデルのように、文化、とくに生活文化の中には、だれでもすぐ分かる部分(意識レベル)と、見えない部分(無意識レベル)があります。そして水面下の深い部分で、それらが繋がっている(普遍レベル)こともあるのです。
日本人の生活も西欧化、国際化が進んで、このような伝統的な生活感のある言葉を使う機会は少なくなりつつあるようですが、水面下に隠れた意味をもつこうした言葉が、顔をだしてきた時、慌てることのないように平素から意識して研究しておきたいものです。
「土足」の「土(ど)」とは?
さて、「跪(ひざまず)く」に近い言葉に「土下座(どげざ)」があります。これは「土下座して謝(あやま)る」というように、地面に「直接」座って深くお詫びの気持ちを表すことをいいます。また「土足(どそく)」という言葉もありますが、これらの「土(ど)」は、単なる「土(つち)」や「泥(どろ)」ともすこし感じが違います。では、「土(ど)」にはどのような意味があるのでしょうか?
かつて中国から高名な言語学者を日本に招いた時、会議が終わった後に、伝統の日本料理をと思って料亭に案内しました。すると彼は玄関に広々と敷かれた赤い毛氈のうえを、靴をはいたまま、つかつかと上がっていって、横で三つ指ついている女将さんを驚かせたのです。欧米からのお客であれば、あらかじめ注意したかもしれませんが、中国からのお客だったために、文化的に近いという思い込みがあり、こちらもうっかりしていました。
日本には、家に上がるときは履き物を脱ぐ習慣があります。「どうぞお上がりください」は「お入りください」とはすこしニュアンスが違います。お客が「靴を脱いで奥のほうまで入る」のを前提に言っています。一般に日本には靴、昔なら下駄(げた)・草履(ぞうり)・草鞋(わらじ)などは外ではくので汚れた物である、という観念があります。「土足」を外国ではなんというか、手元の辞書をひいてみましたが、英語にも中国語にもドイツ語、フランス語にも「土のついた靴」とか、「靴のままで」という表現しか見当たりませんでした。日本の「ズカズカと土足で人の心に踏み込んでくる」というような、汚れた、繊細さの欠けた感じは、外国の人にはなかなか分かりにくいかもしれません。
雨が多いせいか、日本では地面で直接生活する習慣が少なく、地面や土、泥というものをなんとなく汚いものとする観念があるように思います。したがって欧米の映画などで、靴をはいたままでベッドに寝転がったり、足を机の上にのせたりする場面を見ると、なんとなく違和感、不潔感をもちます。電車の座席でも、靴を履いたまま子どもを立たせるのは汚いし、非礼なことだと思っている人が多いでしょう。(逆に、靴を脱ぐ習慣がない国では、「靴を脱ぐ」がat homeを超えて、sexを暗示することもあるようです)。
言語と生活文化
「かしこまる」と「土足」という言葉を例に、その背景にある日本人の感覚、感じ方の例をみてきましたが、ほかにも例をあげれば、食事時の「いただきます」という挨拶、「上げ膳・据え膳」の意味、会話のなかの「相づち」の言葉、あるいは「照れる」「愛想」「お陰」などなど、言葉の意味を、それが使われる日本人の生活の中において考えさせることは、指導上とても大切だと思います。
日本の文化をどう理解してもらうか、どう教えるか、は非常にむずかしいことです。どちらがいいとか、悪いとかの問題ではなく、これらは生活習慣のちがいからくるものなので、その前提となる状況を理解すると、言葉のもつ本当の意味が分かることが多いのではないでしょうか。
日本はまわりを海に囲まれていて、中国のように長い間異民族に支配された歴史もなく、アメリカのようにさまざまな外来の民族が新しい国家をつくるというような経験もなく、日本人は長い間全体として均一的な生活を営んできました。そのために外国の学生たちからみれば、なかなか分かりにくいことがあるかもしれません。
それだけに偏見や差別につながったり、場合によっては無意識のうちに同化を求めていたりすることもあるので、注意が必要でしょう。「郷に入れば郷に従え」とか「日本では、こうするものですよ」などと、平気で言ったりしているかもしれないのです。言葉とその背景(あるいは水面下)にある文化を教える、といっても、学ぶ側には、また学ぶ側の文化があるので、その点注意が必要だと思うのです。
最後になりましたが、日本人とその文化について、日常の気づきを「TCJ Blog」に書いたものをご紹介します。お役にたてば幸いです。
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